地震終息と被災地に平穏な暮らしが戻ることを願う

正月早々大規模な地震災害が起きてしまった。

被災地では懸命な救援活動が繰り広げられているが、生存率が急激に低下すると言われている72時間を過ぎた今も200人を超える不明者が居られる現状。一人でも多く逃げていてほしい、連絡が付いていないだけであってほしい。

救援・支援の輪も拡がっているが、道路や港湾の破損もありまずは人材・資機材の投入が必要であるのに、思うように支援進められないのはもどかしいと皆思っているだろう。

地形的にも半島というところやもともと風光明媚なところだけあって山岳森林地帯というところ、倒木や土砂崩れなど交通が断絶しており現在も孤立している地区は多い。支援物資などが早く届きますように。

病院通いの身ではなかなか協力できることも少ないが、せめて支援に行く人のバックアップ、自分自身ほかの人に負担増やさないような生活をしようと思っている。

早く地震が終息して被災地の方にも平穏な暮らしが戻ってくることを願っている。

 

雪の日の鬱状態と大切な一瞬

今年初めてというか本格的に雪が積もった。

朝起きてみると屋根には30cmくらい積もっていたのだが、既に夜中の時点で20cmは積もっていることがは判っていた。

というのも夜、除雪車が作業している音が聞こえたからだ。

除雪車は普通の人が朝車に乗って出掛ける前に除雪を終わらせるように作業を始めている。ありがたいことだ。

雪が道路にあると当然車は走りにくくなるので移動するにも時間が掛かる。よって通勤など時間が決まっていることには早めに家を出なければならないことになる。

しかしながら皆考えることは一緒。結局はある程度の渋滞は覚悟しなければならない。

尤も自分は渋滞を避けるためさらに早い時間帯に家を出るようにしている。

さてこの雪の降った日は普段の景色も違って見える。このように日がな毎日同じような生活パターンで暮らしていても一日一日同じ日はない。この一瞬というのはまたやってくることはない。そう考えるとこの毎日を一瞬を大切にしなければならないなと思う。

ちょっと感傷的になってしまったけれど冬は雪に閉じ込められることから鬱状態になる人が多い季節でもある。じっとしているだけでストレスが溜まるからだろう。そう考えると動物などが冬眠するように冬はよく寝るというのは精神衛生上もいいのかもしれない。

といいながらちょっと予定があって家を出た。

待合室で待っていると、いつもの中庭の像に目が留まった。

おお、いつもの婦人像なのだが帽子とショールを纏っているようではないか。

雪の日ならではの景色ではあった。

この時期の鴨せいろは最強蕎麦。地元ならではの知られざる店がいい

今日は朝から予防接種受けに行ったり買い物に行ったりと忙しかったのだが、昼ご飯途中の道の駅か何処かで食べようかという話になった。

朝から出ていた霧(山上から見れば綺麗な雲海)が取れて、笠ヶ岳穂高岳乗鞍岳などが見える道を行くと昔JAの販売所だった所が蕎麦屋さんとなっている店の前を通り過ぎようとした時、「営業中」の看板が出ていた。

思わず蕎麦もいいかなと相談が成立し、車取って返して蕎麦屋さんに入った。

実はこの蕎麦屋「そば処すごう」というお店なのだが、まぼろしの店とも言われている。というのも営業日が基本木曜日~日曜日(冬期は土日のみ)とされているのだが、実際の処は金曜日~日曜日がベースで金曜日も休みの場合がある。しかも土日であってもその日の分終了で早じまいとか都合が悪くて臨時休業とか、ほんとにタイミング良く開いてる時が少ないんですね。

なのでこの辺りの事情を知っている人が来たり、たまたま通りかかった人がたまたま入るイメージで、待ちの行列などもない。

しかし蕎麦の出来映えはこの辺りでもぴかいちのものだ。へんに上品ぶってしまった街の名店よりも蕎麦って本来こういうもんだよねえと思える雰囲気のあるお店。

ただこのような普段使いの店も有名になってしまうと客が押し寄せることとなり、地元民としてはなかなか気軽に行きづらくなってしまう。せめて有名になってしまう前に食いだめしとくのがいいかな。

今日は鴨せいろをいただきました。蕎麦は新そばかつ地元産。有名になってしまうと地元産だけでは供給しきれなくなるので規模的にも今のままがいいのじゃないかと思う。

山菜の天ぷらやキノコも地元産であるため季節限定となっているのが潔い。

今回の鴨も地元産だろうか。聞いてみればよかった。何せ普通鴨せいろと言っても合鴨ロースを使用している処がほとんどなのだが今日のは合鴨ぽくなかったので本物の鴨だったかも。肉自体もよそだと3切れくらい入っているだけだがいろんな形や部位のものががっつり入っていてすごい。

そば茶やそば湯も美味しく、つゆも全部使ってしまいました。

こんな感じで満足して店を出ました。いい一日でした。

 

 

 

久々にカメラ屋さんへ言ってみた

今週、ちょっと用事があって2軒のカメラ屋さんへ行ってきた。

1軒目は近所の店で、今や地元でも少なくなってしまった写真館のお店だ。今回は証明写真を撮ってもらったのだが、昔ながらのスタジオで撮ってもらった。

尤もカメラは随分前からデジ一眼となっていて、昔のように出来上がるまで数日掛かるということもなく、30分も掛からずに目的の写真を手に入れることできた。

近年証明写真もよくドラッグストアなどの前にある自動機で撮ることもあったのだが、やはり機械でなく本職に撮ってもらったのは納得の出来映えだった。

そして今日は街に出て大手カメラチェーン店にカメラやレンズ用の乾燥剤を買いに行って来た。

乾燥剤は昔と変わらないくらいの価格だった。

その後店内の様子を改めて見るのだが、随分昔とは品揃えが変わってしまっている。

当然のことながらフィルムカメラの新品などは置いて無くてデジカメばかりなのだが、真ん中にでんとデジタルプリントの発注機が何台も並んでいる。

そして撮影機材やカメラ用品などはほんとに少ししか置いていない。まあこれも今や皆ネット通販などで買うようになってしまったのだなと思う。自分だってそうなので他人のこととやかく言うことは出来ない。

しかし実は目的はもうひとつあった。

現在フィルムは売っているのか、ということだ。

店内くるくる歩いて回るが見当たらない。えっ置いてないのか?と思った次の瞬間、棚の列の先っちょ(王様席のとこ)の隅っこにフィルムの箱があるのを発見した。

で、置いてあったフィルムはなんと13本(数えられるくらいというのが悲しい)

富士は100が1本、SUPERIAが2本、ネオパン100が2本、ベルビアが1本、プロビアが1本、写るんですが3本。

コダックはゴールドが1本、ポートラが2本

※以上すべて35mm

驚いたのはその価格だ。

コダックのゴールドで2500円超えている。

富士の100は1600円くらい。リバーサルに至っては4000円以上の価格を付けている。

しかもリバーサルは現像に2週間掛かるだと。

昔コダクロームが現像するのに時間掛かったけれどそれと同じ状況となっていることに愕然とした。

今や銀塩カメラ使うのは超お金持ちしか出来ないらしい。

今年のキムチ漬けはというと

今年もキムチを漬けた。

11月の最初に業務用スーパーであらかた材料は購入していて、塩辛だけ買ってなかったのでスーパーへ行ったのだがマグロやカツオの塩辛が無かったのでイカとホタテの塩辛で我慢することにした。

まずはキムチのりを作る。餅米粉を水に溶かして焦げ付かないように混ぜ続けて糊状になるまで気長に作る。出来たキムチのりは冷ましておく。

その間にばあちゃんに頼んで下漬けしてあった白菜漬け(この辺りでは新漬けとか切り漬けと言ってこのまま切ったものにちょっと醤油垂らして食べたり漬物ステーキの材料となる)を下ごしらえする。

下ごしらえは要は芯を取って葉っぱをばらすだけなのだが、一般的には芯取らずに葉っぱの間にキムチソックを塗り込むのだろうけど、手間が掛かるしなかなか芯の方にまで塗り込みが行かなかったり漬かるのに時間が掛かったりと、せっかちな我が家の連中向けではないのでここのところは葉っぱばらして漬けるようにしている。さらにせっかちな家では最初から白菜を細かく刻んで漬けていることだろう。

そしてキムチソックを作る。要はタレです。

今年の材料は唐辛子粉細挽き2袋、おろしリンゴ2個、熟したカキ2個、みかん2個、ナンプラー1本、バルサミコ酢(りんご酢の代用)、水飴、甘酒、切り干し大根、アミ塩辛1瓶、いか塩辛3パック、ほたて塩辛3パック、すりおろしにんにく1瓶、すりおろし生姜1本、ニラ1把、細切り大根、細切り人参、にぼし粉、キムチのり・・など。

まあまあいい感じに出来たかなと思い味見したらちょっと甘みが足りない感じで水飴追加。

その次は樽にカクテキ用大根を底に敷いておく。ここに白菜の芯(切り取ったもの)も入れておく。最終的にはこの白菜の芯も薄切りにすれば美味しく食べられます。

そしていよいよ漬け込み。前に書いたように白菜の葉っぱを敷き詰めて、そこにキムチソックを塗りつける。その上にまた葉っぱを敷く・・という繰り返しで漬け込んでいきます。

漬け込み終わった状態。見てもらうと判りますが白菜が1~2玉少なかった。キムチソックが少し残ってしまいましたがタッパに取っておきます。

漬け込みの出来たものは、袋の口を縛って重しを軽めにしておきます。

今の状態でも食べることはできますが、これで2週間もすれば乳酸発酵が進んで美味しく食べられるはず。

タッパに取っておいたキムチソックは白菜の新漬け(切り漬け)に掛ければ即席キムチの素として美味しく消費できました。

 



 

今年も雪囲いの季節

立冬過ぎたと思ったら急に寒くなった。

毎年のことといいながら雪囲いや車のタイヤ交換しなければならない。

雪囲いと言うとあまり早くやっても部屋が暗くなってしまったりするし遅いと寒い中作業しなければならずやるのが嫌になってしまうのだが、寒くなると体の動きも悪くなると思って早めにやることにした。

雪囲いは各家々でいろいろなやり方があるが、やればやったでいろんな人からのありがたい「評価」が飛んでくる。

これは雪囲いだけでなく雪下ろしのやり方でもそうなのだが、「先生」が多すぎて振り回されることになる。

我が家はと言うともう適当。いろいろな話は聞こえてくるが気にしないことにしている。表側に結び目が見えるとさらにいろいろ言われるので、結び目は裏に隠すようにしている。

縦木は稲のはさを流用したものだ。横は鉄のL型鋼などを使っている(これも小屋か何かを壊した時の発生品)。

上に掛けるのは亜鉛引きトタン板。暗くなるので透明な樹脂製にしたいところだが。

いつも端部のやり方には悩むところ。すきまが多いといろいろ「ご意見」も多いし。

裏はこんな感じ。

これだけで午前中掛かってしまった。

午後は庭にある石灯籠への雪囲い。その後車のタイヤ交換と、ほぼ1日中外での作業は疲れた。

 

ハイランドマスターズを見に行く(LEG2)その2

リエゾン区間を見ていたが、選手の皆さん手を振ってくれる。ラリーってこんな風に親しみやすいモータースポーツだよね。

時計を見るとサービスが始まる時間も近くなってきた。サービスパークに戻ろうと国道に出たら、丁度No.7ヤリスの後ろになった。

なかなかラリー車の後ろに付くこともないよなあ、と思いながら付いていくがやっぱりラリー車速い。すぐさま引き離された。スピードメーター見ると60km/hで法定速度守ってるし直線では付いて行けるが、やっぱりカーブでもブレーキ踏まずにそのまま行けるのだな。我がサンバースーパーチャージャーとは言え、車の差とドライビングスキルの差で離される。ラリー車は交通法規守っているのに速いこと良く判りました。スキー場へ行く登りに入ったらすぐ見えなくなってしまいました。

そんな感じでサービスパークにまた戻ってきました。駐車場に車駐めると目の前をラリー車が次々と通過して行く。アルコピアのSS9に向かうのだ。SS9が終わると皆サービスパークに戻ってくる。

今回のサービスは30分。まだ先頭車が来るまで少し時間があったので軽く昼食とした。

昼食摂ってまたサービスパークへ向かうと、ポツポツと人が集まり始めている。

そうこうしていると時間が来て、No.1が爆音とともにやって来た。

 

降りてきたのはコバライネン選手。

話している間にもスタッフにより作業は着々と進む

あっという間にホイールが外されました。

そんな横をNo.3が通り過ぎる。

No.1 いやあ手際がいいね。メカさんもベテラン揃い。

場所を変えるとさっきのN0.3も既にホイール外している。

向かいのトヨタピットもNo.2が入っていた。No.7はまだ来ていない。

取って戻るとNo.1の向かいのNo.5も来ていた。

No.5はホイールも外れて点検や清掃開始。

No.1は10分が経過。既にホイール付けに掛かっている。

No.1の向かいはNo.4 あちこち点検している。

No.1はホイールも付いて清掃作業に入った。窓も丁寧に拭いている。

No.10は来たばかり。今から始めようかというところかな。

No.7もやって来た。2台となりトヨタピット大忙し。

No.1は15分が経過。清掃に余念がありません。

トヨタは2台同時で人人人。

No.3も清掃に入った。よく見ればタイヤがミシュラン

No.10もガシガシやってます。

No.9もエンジンルームぐりぐりやってます。こちらはピレリタイヤ装着!

No.2も降ろしに掛かった。No.7のメカさんホイール内側の土砂を取ってます。

No.1は25分経過。ピットを出る。きっちり時間内に仕上げてきました。

No.5もホイールが付き車を降ろそうとしているところ。

TCからNo.1が出て行くところ。No.2、No.3が続く。

No.14(JN2)とNo.7(JN1)。JN2クラスの組も速い。

 

No.12(JN2)、No.16(JN2)、No.9(JN1)の列。

ここまで見て今日は帰ることにしました。本来ならSS12やセレモニアルフィニッシュも見たいところではあるけれど、ほかの用事もあるので泣く泣くその場を後にしました。

因みにこの後駐車場から出たら丁度No.3がスタートし道路へ出たところで、その後ろに付けましたがやっぱしすぐに千切られました。1分間隔スタートなので後ろからNo.11に追いかけられる形にもなってしまいびくびくしてましたが国道41号に出る時には(5kmもないのに)既に追いつかれました。

ラリーカーは一之宮の交差点から旧41号方面へ行くが自分は交差点左折してお別れしました。

 

おまけ

今回も高山短大チームが0カーを担当していました。将来この業界に進む人もいるかな。

今回の変わり種と言えばやはりハイエース。全日本ではおなじみのチームのようです。

独特の音と走りで結構人気がありました。