君たちはどう生きるか...についての話(2)

※ネタばれあるかもなのでいやな人は移動してください

宮﨑駿さん(今回から﨑に変更)の「君たちはどう生きるか」について夏休みということや、映画パンフレット(40P!)が発売となり、動員人数も上がっているようだ。

ネットでの解説なども盛んに出ていて、さまざまな解釈が出揃った感もあるが、それぞれなるほどと思える解釈があり楽しい。それらを見たり読んだりしたうえでの今日の話(かと言ってストーリーの解説が主ではなくて、作品の楽しみ方のご提案や個人的な感想が多くなるとは思います)。

それらネット解説の中には、いろいろな本の話が出てくる。まずは

2001年に出た宮﨑駿解説本としては名著なのだと思うが、実は自分は読んだことなくて、いま中古本を取り寄せているところ。

で、もう1冊。

初版が1996年の本ではあるけれど、こちらはご本人が書いたものや対談集であるので、宮﨑駿さんの生の言葉として掲載されている。

今回自分なりの解釈を得るために改めて抜粋して読んだのだが(全部だと580ページもある)、これがまた今回の映画にも通じる話がいくつか載っていて、映画の予習復習用として適した本ではないかと思う。

この続きとしては以下の本もある。

さて解説本の話はさておき映画のはなし。

もともとこの映画はタイトルの由来となる小説とは全く違うストーリーであることは明言されていた。しかしながら宮﨑さんの監督作は過去作で原案、原作とクレジットされた作品であっても、ほとんど違う作品と言ってよいほど加工されつくしていた。いや原作なしのオリジナル作品と言われているものであっても、あれ?こんなストーリーどこかにあったなというように、クレジットされていないだけで原案(もしくは参考)になったと思われる作品は数多い。

でもそれでもって著作権侵害で訴えられたという話は聞かない。つまりは過去作は参考としながらも、宮﨑監督作品はオリジナル作品だと思わせるプロット創りの巧妙さがすごい。そこが理解できたならば今回のタイトルがなぜ「君たちはどう生きるか」なのか感じ取ることが出来るかもしれない(原作を読んでいるという前提です)。

原作タイトルがそのまま使われている宮﨑監督作品は風立ちぬと今作だけですが(On Your Markは元が楽曲なので除外として...)、そう考えるとこの2作品は連作だと考えることもできるしメビウスの輪的に終わりからの始まりへの作品と捉えることもできる。

ここで「ん?」と思った人も居るだろうが、そのテーマって宮﨑監督作全てに繋がる話なのでは...

そう、未来少年コナンナウシカOn Your Markなどなど風立ちぬより前の作品ではこの「喪失と獲得(復活・再生)」というキーワードが大抵入っていたのだが、風立ちぬの場合にあっては最後、菜穂子さんの「生きて」というメッセージに対し大団円を思わせるようなエンディングにはなっていなくて(ポスターには答えが書いてあったが)、視ていた人ほとんど皆無言で(???という様な顔で)会場を出ていたように思う。

あの感じ、旧版新世紀エヴァンゲリオンAir/まごころを君に」のラストを見た時のような違和感...というと大袈裟でまたちょっと違うかもだけど、あの時は宮﨑監督作の最後がこれかあ~と皆絶句していたのだろう。

それを考えた時、今回宮﨑監督が復活しスタッフをいろんなところから引っ張り集めて来て今作を作った。これはまさに風立ちぬ(いやさ過去作全て?)を補完する(あるいは再スタート)意味がある映画ではなかったか。

風立ちぬと君たちは..は、時代背景が近いが風立ちぬの方がちょっと昔で1930年代前半頃のイメージ。今作の君たちはどう生きるかは1937年から1944年頃のイメージで描かれている。宮﨑監督は1941年生まれであるので、実体験を元にしたと言うよりはその時代のかすかな記憶をイメージで補完して描いたというのが近いのだろうが、その細かな描写(冒頭の出征兵士やチハ戦車の場面など)は高畑さんの火垂るの墓で出てくる戦闘や空襲シーンを思い出させるリアルで緻密なもので戦時中のニュース映画を見る思いだ。

それと冒頭ではもう1場面、火事の場面が印象に残る。今までのアニメで様々な炎表現を見てきたが、それらとはまた違う静かなゆらぎのあるそれでいて重く不気味な感じがする炎だった。CGだとは思うのだけど手描きぽくもある新しい表現を感じた。

そんな中、義母となったナツコさんとのぎくしゃくとしたやり取りがあるが、実母の残した「君たちはどう生きるか」を読んでマヒトが涙を流し、これ以降ナツコさんとの関係を改善しようとする行動へ進むことから、マヒトは「石段の思い出」のところで激しく心を揺さぶられたに違いない(「石段の思い出」とはコペル君のお母さんが自らの後悔を語るが、その経験は無駄では無かったと諭す話)。

中盤になると現実世界から異世界へのスムーズな移行手法が流石だ。塔であったり門であったり扉であったりして判りやすくはあるが、元はと言えば現実世界にある巨大隕石(から出来た塔)が異世界への入口(のひとつ)となっていて、現世界との区分けがある。最終的にはこの塔は崩れてしまい異世界とは行き来ができなくなってしまうが、このあたり古事記に出てくる黄泉の国と同じような話になっている。

また現実と異世界をつなぐ者としてアオサギが登場する(ポスターに描かれているキャラ)。最初は普通のリアルな鳥なのに段々異形の生き物に変化するのがグロい。確かに重要なキャラではあるのだがやっぱりグロい。時々元の姿に戻ったりする様もグロい。イメージ的にはトトロ程度のグロさならまだしも、トトロに出てくる絵本でのトロル(3匹のやぎのがらがらどん)に近いグロさがある。↓

アオサギの正体とすればトトロと同じくトロルの一種なんだろうけど、他の人の解説などにも書かれているように日本においてアオサギって妖怪みたく扱われていたりして不気味な生き物のようなのだが、もうちょっと可愛くしてもよかったんじゃないかとも思う。

グロい(と言うか不気味)と言えばインコの扱いも同様。塔に入ると大量のインコ(と大王インコ)が登場するが無表情(鳥なので当たり前だが)で刃物持った人食いインコとくればホラー映画の世界。大王インコは若干表情があるのでまだいいが、鳥が嫌いな人なら逃げ出したくなることだろう。

鳥としてはもう1種、ペリカンが大量に登場する。生まれる前の魂であるワラワラを捕食したりするが、ヒミ(実はマヒトの実母の少女時代の姿)に花火で撃ち落とされた老ペリカンはマヒトに世の不条理を語る。ペリカンには死んだ雛に自らの血を与えて蘇らせるという伝説もあり、ワラワラを捕食することにより魂を再生させるという意味があるのかもしれない。

鳥に関連する話としてはもう1点、今回は過去作のように颯爽と空を飛び回るというイメージ表現は無かった(と思う)。逆に落ちていくイメージが強い(例:下の世界に落ちていく、アオサギフラップターみたく羽ばたくがどんどん落ちていく...など)。これは前作の風立ちぬでも墜落する話が多くあり前振りだったのかも。

場面構成上では現実世界と異世界とを交互(多視点:最後は収束するが)に見せる手法が効果的に使われていたように思う。過去作でもトトロやハウルなどでもそうだったけれど、今作はそれが特に顕著に表現されていたように思える。

過去作をイメージさせるギミックについてはいろんなところで語られているけれども、自分としては肯定的に捉えることができた。安定感があって良かったのでないかな。大王インコが橋を切り落とすところなどルパン三世をイメージした人が多かったようだけど自分は長靴をはいた猫の魔王ルシファの城のイメージが強かったです。

これら今作における表現はさすがにどれも素晴らしくて、新しい技術も入れながらも違和感なく親しみやすい(臨場感のある)映像が満載で見どころも多かったと思います。

今回ブルーバックが出て映画が終わった時、会場からはちらと「難しい」「わかんねー」という声が聞こえた。

まだ今作のパンフレットは入手してないけれど、何を伝えたかったのかなどはある程度記載があるのだろう。でも解説的な話はほぼ無しとも聞く。

でも「君たちはどう生きるか」というタイトルである以上はそのような解説的な話はもとより無いだろうということは容易に想定されていた。

答えは観客の数だけ各人の頭の中にあるのだろう。なので他の人の解釈を参考とすることは出来てもそれが自分にとっての正解にはなり得ない。

自分の答えとしては、前回の日記で書いた話も含めて総括するならば、

「この作品は宮﨑駿さんによる「読書感想文(映画)」」

この作品自体が解説だったと考えればパンフレットの内容にも合点がいくだろう。また?と思った人は読書感想文の標準的な書き方を思い出すといい。それで夏休みに読書感想文(課題)をどう書こうか(解決しようか)と悩む子供(大人の中に居る子供も含め)がいたならば、こんな風に書けば(生きれば)いいんだという指導書的な作品であったのではないかなと思う。