お正月に思うこと

この歳になると歳をとるということはどうでも良くなってはくるのだけれど、とりあえずはあけましておめでとうございます。

飛騨地方では、お正月は元旦よりも大晦日の夜に重きを置いていて、この晩のことを特に「歳取り」と読んでいる。
またここでは、お正月にごちそうを食べるという風習はなくて、大晦日に「歳取り」のごちそうを食べるのである。
もっとも、子供たちはそんなのはあまり考えてなくて、ごちそうがあって、夜遅くまで起きていてもいい特別の日くらいにしか考えていない節もあるけれど、日本の風土としての年中行事である、お正月というのは、ただ単に新しい1年の始まりというだけでなく、大きな意味を持っている。

言うまでもなく、「歳取り」と言うのは、大晦日の晩に歳神さまがやって来て、新しい年を授けてくれるという訳で、これにより日本人も1才歳を取るのである。
これが、いわゆる「かぞえ」の年齢で、誕生日から1年を満たさずに歳を取るというしくみになっている。
また、「かぞえ」においては、0という概念がそもそもなかったので、誕生した日は1才ということになっていて、誕生日から初めて迎えたお正月に「2才」になる。
これは子供の頃、母親に「あんたは七つ上りだから(体がちいさくて)かわいそう」とよく言われたのだが、この「七つ上り」という表現は「かぞえ」年齢の話が判ってないと通じない。(※参考に書くとここでいう七つとは、1月~3月生まれの子のことで、通常はかぞえで8才で小学校に入ることに対して7才で小学校に入る子供のことを言う)
この「かぞえ」という考え方は旧いと言われればそのとおりだけれど、今でも「お正月」はめでたい、うれしい、ありがたいものという考えは、このかぞえ年齢の根元である「歳神さまがやってくる」ということに起因している訳で、「お正月」というものを考える機会としてみてもよいのではないかと思う。

僕自身は自分の亡くなった親が戸籍上の誕生日は1月1日だったので、お正月には思うことがいろいろあるのだけれど、大晦日の晩は歳神さまがきちんと来ていただけるように、早めに床についたのでした。